12/10~11 京都に行った話

12/10

12月だから寒いが、天気は良い。折り畳み傘とかもっていかなくていいのは荷物が減って助かる。出発は朝8時すぎ、9時30分過ぎの新幹線で11時30分ごろに京都駅につく。電車内は爆睡。新書2冊持って行ったのに1冊も読み終わらなかった。

 

京都線に乗って長岡京駅へ。京都市内の観光スポットはどうせ混みまくっているだろ?というのと、どうせ翌日は14時にロームシアター京都にいないといけないから、京都中心部しか巡れないということで。

 

まずは勝竜寺城公園へ。ちょい前(3年前!?)の大河ドラマの影響か、光秀やガラシャにゆかりがあることを推しているらしい。京すぐそばの重要拠点だからね。城となる前の勝竜寺もしばしば畠山義就らが陣をはったりしていたらしい。

地元の町内会っぽい人たちが弁当食っていたりと地域密着型だった。銅像とかもあったり割と雰囲気づくりに気合入っているのだが。

雰囲気づくりに気合が入っている

 

つぎは長岡天満宮へ。菅原道真ゆかりの地とのこと。

学問の神様なので天才になれますようにって祈っておいた。これでわしも天才。

書き出しのつかみがバッチリ

 

境内にあった!高額献金者の石塔らと一緒にあったのでそういうことかもしれない。

 

長岡京はこれでおしまいにして、嵐山方面へ。嵐山は人がたくさんいた。たくさんいすぎて写真とかも撮ってない。紅葉シーズンも終わったというのに。人間興味なし。

 

嵐山をさっさと通過して天龍寺へ。境内の略歴見てると数十~百年単位で燃えててかわいそう。後醍醐天皇の怨霊もお怒りですよ。法堂内部と庭は見学したのだが、特別展は行かなかった。このとき3時過ぎ。4時とか4時30にお寺類は閉まってしまうので。

庭の景色もよかった。フォルダ見返したら急いでたせいか天龍寺の写真全然なかった。

 

最後に行ったのが清凉寺。10日に行った中ではここがいちばんよかったかも。綱吉らによって再建された建物が残っているんだよな。門や本堂もかっこよい。お賽銭投げたあとに、綱吉の偏見がなくなるように祈願しておいた。

正面から撮れ

綱吉は寺社復興をしまくったので結構名前が残っている

残念ながら拝観は4時までで終わっていた。外から見られただけでも良かったな。

多宝塔。近くで見ると屋根の裏側がキレイなんですよね。

清凉寺になんで行ったかというと秀頼の首塚目当て。

秀頼公は生茶派だった……?

みんなの供養塔。1980年代に作られたので、最近のものなんですよね。

 

清凉寺付近の宝筐院には小楠公首塚もあったんだけど、時間オーバーだったのか門は閉まっていた。残念。

 

多分他も閉まっているし、すでに18000歩ほど歩き足もがくがくだったので。ホテルへ。ただ、なぜか京都駅からすぐのホテルなのに二条駅で降りて歩いて向かってしまう。1時間弱歩いたんだが。バカ。結局この日の歩数は24741歩。まだメインイベントをこなしていません。

小浜藩邸跡地。歩いていると思いがけずこういった史跡があるのは良い所。

12/11

朝は朝食バイキング。あんま種類がない……のは織り込み済みだったのだが、ウインナーが無かったのはデカイ。食べたい肉系がサバの切り身だけは少々物足りない。パンはおいしかった。80点ってところ。

ホテルの剃刀は一枚刃なので流血の危険があるが、今回はほどほどにやったことにより惨劇回避。今はマスクで隠れるからあまり無理をする必要がない。連泊するときは家から剃刀持っていくが。

今日は本題のオタクライブが15時から。京都中心部から大きくは動けない。

東本願寺。さすがの豪勢さ。


ホテルから近かった東本願寺へ。京都中心部ながらデカイ、広い。阿弥陀堂の内陣(阿弥陀様がいらっしゃる空間)は「黄金の世界」を表現するために黄金を使っている……。神社仏閣は地味なイメージがあるが、本来こういう面もあるんだよな。
本堂内は写真撮影厳禁。

西本願寺。東に負けない大きさ

東本願寺行った直後に西本願寺へ。ぶっちゃけ観光客の何割かは両方行くよな。徒歩10~15分で行ける位置にあるからなあ。昔はともかく今は東も西も協力関係らしい。

西本願寺には本屋さんがあった。もちろん内部は浄土真宗100%。何かの縁だし、と1冊買った。荷物がさらに重くなった。

 

その後京都水族館とか行くか?と思ったが土日祝は予約がないと入園もままならないらしい。めちゃくちゃ混んでるよな。鉄道博物館もアリかと思ったがそこまで鉄道に興味があるわけでもない。京都御苑でもいくか、ついでに隣接する相国寺も行こう!となり地下鉄で今出川へ。

微妙に正面ではない。

相国寺には承天閣美術館があった。ここがなかなか見どころ満載だった。

相国寺は義満が建てたこともあり足利将軍家と縁が深い。当時や後世に書かれた将軍像が残っていたり。後小松天皇の宸翰が残っていたり。後世にも影響力は持っているわけで、朝鮮通信使随行する僧を排出していたとかで、当時の記録が残っていたり。

いちばんおもしろかったのが江戸に室町将軍の戒名を聞かれた返答。人数はきっちり15代なのだが、14代義栄は数に数えず、義稙の父義視は数に入れていた。

その理由も書かれていたのだが、文字も小さく崩し字でイマイチ読めず。近世専攻だったよな……?まあ義栄はそもそも京都に入れていないというし、反対に義視は将軍の父でありかつ応仁の乱時に将軍に擬せられたというから、そのあたりなのだろう。

 

って具合で承天閣美術館を楽しんでいたら、ぼちぼちオタクイベント会場へ行かなくてはならない時間だった。せっかくなので京都御苑を北から南へ通り抜ける形で向かう。上記の理由でいろんなところに立ち寄ったりはできなかった。単純にこの日も歩き回っていて疲れていたし。メインイベントのオタクライブはこれからなのですが……。

道が想像以上に広い。広すぎて遮るものがなく冷たい風にさらされる。

建礼門

 

オタクイベントは別記事。大満足。

目安は20時終演とされていたが、20時25分くらいまでかかったのか?駅も遠いしそもそも土地勘もないし……。ようやく駅に着いたはいいけど目の前で電車が行ってしまったな。次の電車は……終電の新幹線に間に合わない!正確には東京に行く電車はあっても、最寄りまで帰れない……。

ちょい言い訳をするなら、COCOAが役目を終えた今会場ではスマホの電源切れ!とアナウンスされる。メインホール内の時計も消えるでな。時間が思った以上に経っていることに気が付かなかった。

結局浜松の親の家に一泊してから帰った。月曜日有休にしてて助かった。